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以前、太宰治の『待つ』について、20回にも及ぶ連載形式にて書き綴っている。“少女は何を待っていたのか”というのが主題であった。結論として、少女が待っていたのは“新たな自分”であり、本作の根底にあるテーマは“再生”であるとしている。
ところが、最近になって思わぬ視点に気が付いた。それはTwitter上における、とある呟きによってもたらされたものである。今回はその視点について考えてみたいと思う。 以前、私が導き出した答えは、希望に満ち溢れた、明るいものであった。それは、私自身の思いが強く反映されていたかに思える。 だが、作品の感想・解釈というものは、それぞれの読者によって異なる。また、同一の読者といえども、時を経るごとに違ったものとなることは、私自身の経験からも言えることである。 では、本作においてもまた、決して明るい解釈ばかりではないとも言えるのではないか。つまり、暗く、マイナスなイメージの解釈もできると思うのだ。例えば、“死”“破滅”。戦争が始まり、いままでの生活に自信を失くし、“死”や“破滅”をもたらしてくれる誰かを待っていたとしたら……。何とも恐ろしい解釈ではないか。 ただ、そうすると“身を粉にして働いて、直接に、お役に立ちたい気持なのです。”という少女の気持に説明が付かない気もする。しかし、私の妄想は、さらに恐ろしい解釈を引き出すのだ。 もしも少女がこの後出会った男が、画家あるいは小説家志望の男であったとしたら。また、中毒あるいは入水心中を図ったとしたら。そして、男の方だけが助かったとしたら、どうであろう。“身を粉にして”どころではなく、文字通り“命を削って”ということになるではないか。 もちろん、これは解釈のひとつである。というより、妄想のひとつである。私自身としては、以前ものの方が気に入っている。だが、もしも作品『火の鳥』の別バージョンということであるならば、やはりテーマは“再生”ということに繋がるところが興味深い。その場合の少女には、やはり明るい結末が用意されるべきであろうが。 いずれにせよ、このように別の視点から作品を捉えることは、実に面白いものである。これだから、再読はやめられない。
by oobayouzou
| 2012-05-22 23:23
| 2.太宰文学考
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