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太宰治が落ちた第一回芥川賞。その選評に、川端康成は次のような文章を書いたといわれる。
「前略―なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛っているが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。」~『川端康成へ』より これに対して、太宰さんは『川端康成へ』において徹底的な抗議を行っている。確かに、この文章を読む限り、文学作品としての評価ではなく、太宰さん自身の問題で落とされたと思わざるを得ない。 以前にも書いたが、どうやら太宰治という作家は、その文学作品のみで語られることは少なく、その私生活ばかりが目立ってしまうようなのだ。 もちろん、そう仕向けてしまっているのは他ならぬ太宰さん自身であり、それが太宰文学なのかもしれない 似た例で、芥川賞とは関係ないが三島由紀夫氏は、次のようなことを書いている。 私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。~三島由紀夫『小説家の休暇』より こちらも、わざわざ“文学に対する嫌悪”と前振りしておきながら、“顔”や“趣味”“風貌”といった文学とはあまり関係ないような視点にて、お得意の三段論法を展開している。何とも奇妙な話ではないだろうか。 しかし、よくよく鑑みるに、先の川端氏にせよ三島氏にせよ、実は太宰文学について深く理解を示していたのではないだろうか。その上での発言・文章であったのではないかとも思えてならない。 なぜなら、太宰文学とは、太宰さんの人生そのものだとも言えるからだ。作家と作品とを完全に切り離すことは非常に難しい。だからこそ、太宰さん自身を気に入らなく思えば、その作品も気に入らなくなる。逆もまた然り。 川端氏も三島氏も、その流れに沿っただけのことであると思えば、何の不思議もない。ごく自然なことである。 ところで、かつての私がそうであったように、太宰さんの作品を読んで“ここに自分のことが書かれてある”と思った読者はかなり多いらしい。 太宰さんの弟子のひとりである戸石泰一氏も次のように書いている。 はじめて、雑誌で『八十八夜』を読んだ時、私は、ほんとうに身ぶるいするような感動をおぼえた。読み進めていくに従って活字が一つ一つ胸の中にきざまれてゆくような気持だった。自分の気持がぴしゃりと、寸分たがわずここに書かれてある。俺の云いたかつたことは、これだ、と思わずにはいられなかった。今までも、小説を読んで感動することはあつたが、こんな経験は、はじめてだった。~戸石泰一『青春』より 乱暴な言い方をすれば、こう思えたか思えなかったかで、太宰文学の是非は決まるのではないだろうか。作品の持つリアリティーが、読者自身の持つそれと同調した瞬間。そのときこそ、太宰文学は読者の中で昇華するのである。 そう言えば、石原都知事が最近の芥川賞候補作について「自分の人生を反映したリアリティーがない。見事な作り事でも結構ですが、本物がない」と話していた。 この観点から言えば、太宰文学こそが、芥川賞に相応しかったに違いない。ただ、都知事もまた、太宰さんを好きじゃなかった気もするが。
by oobayouzou
| 2012-01-19 22:22
| 2.太宰文学考
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