カテゴリ
1.最近出会った太宰さん ・逆行 ・新釈諸国噺 ・お伽草紙 ・黄村先生シリーズ 2.太宰文学考 ・『待つ』について 3.エッセイ・小説・その他 ・太宰です……。 4.駆け込み、謳え 5.太宰治で読書感想文を書こう! ・太宰治で読書感想文を!2012夏 6.この夏読みたい太宰治 ・この夏読みたい太宰治2012 ・『道化の華』事件の考察 7.撰ばれてあることの太宰と私 8.マイノスタルジア タグ
記事ランキング
検索
以前の記事
2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 blogranking
外部リンク
blogparts
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
前回は太宰さん自身の“罪の意識”について少しだけ述べてみた。今回は本作『待つ』に立ち返り、少女が抱えた“罪の意識”について考察していきたい。
“戦争がはじまったにも関わらず、自分だけ家でぼんやりしていることに対する罪悪感” これは私が第八回において、彼女が“誰か”を待つことに至った感情のひとつとして挙げたものである。これを前回に挙げた太宰さんが抱いた“罪の意識”と照らし合わせてみたい。 太宰さん自身は、その奇妙な家庭環境の中で、“不義の子の妄想”という“罪の意識”を抱くことにより、心のバランスを図ろうとしたと考えられる。だとすれば、ここにおける少女の場合も同様なのではないだろうか。 つまり、戦争下という異様な社会情勢の中で“罪の意識”が芽生えたということである。普通に生活すること、それ自体が“罪”。何ともおかしな話であるが、そう思わずにはいまにも発狂してしまいそうな、そんな心境が彼女、いや、当時の人々の心にあったのかもしれない。 そういえば、先の大震災の折、被災地に住んでいないにも関わらず、毎日のようにテレビから流される悲惨な光景を見てPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるケースもあったと聞く。戦時中の緊張状態も、精神にかなりの負担を強いたに違いない。 恐らく太宰さんは、戦時中のその異様な心理状態を、この少女を通して描いたのであろう。戦争という理不尽な状況下で、自ら“罪”を背負うことにより、その“存在意義”を確かなものとしようとした。そんな逆境における心理状態を、ここで表わしているのではないだろうか。 ただし、“罪の意識”だけでは“存在意義”の確立はもとより、心の安定を図るのは難しい。同時に“償いの気持ち”が芽生えている必要があろう。これこそが、二つ目のキーワード“誰かの役に立ちたいという使命感”なのであると、私は考える。 次回は、その辺りについて考察していくこととしたい。
by oobayouzou
| 2011-11-11 20:20
| ・『待つ』について
|
ファン申請 |
||