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昨夜、太宰治の『きりぎりす』を読んだという、ツイッターでのつぶやきがあった。「どれ、ひとつ私も読み直してみよう」と思い本棚に向かったのであるが、やはり見つからない。そう、これは、いつものことなのである。
私はこれを妖精の仕業だと、固く信じている。こんなことを言うと、とうとうイカれてしまったかと思われるかもしれないが、仕方がない。本当に、そうなのだから。 とにかく、昔から私の周りでは、このようなことが度々起きる。そして、しばらくたってから、一度は探した場所にて見つかるのだ。しかも、決して見落とすはずの無い、目立つような場所でだ。 もちろん、その妖精を見たことなど無い。見てはイケナイものらしい。だから、たとえ気配を感じたとしても、決して振り向くことはない。むしろ、今度は何を隠しているのかな? と楽しむことにしている。 しかし、そうは言っても、本当に必要な時に限ってそのモノが無いのには閉口させられる。時には、仕事に必要な書類なども隠されてしまうのだ。 そんな時には、声に出して「お願いだから、返してください」とお願いをする。すると、比較的に早く返してもらえることが多い。 今日も、すでに仕事関係の書類を隠されてしまっている。休み明けには提出せねばならない。困ったものだ。 昔から、この調子なので、昔から忘れ物や失くし物が多い。子供の頃は、随分とイヤな思いをしたものである。 しかし大人になるにつれ、次第に慣れていくから不思議だ。友人からは「相変わらずだな」とも言われるが、仕方が無い。私の所為ではないのだから。すべては、妖精の所為なのだから。 ところで、『きりぎりす』とは、どんな作品であったろうか? 確か、画家の妻が夫に書いた絶縁状のような形式がとられた作品であったかと思う。この作品には、太宰自身の痛烈なまでの自己批判が隠されている、そう感じたのを覚えている。 イソップ寓話の『アリとキリギリス』では、キリギリスは惨めな姿で、アリを頼る。そしてアリは、そんなキリギリスを温かく迎え入れる。 しかし、実は、それすらもキリギリスの計算であったなら? そんな疑念が私の胸から、いつまでも消えない。ただ、元々はアリに断られる話であったが、「それでは残酷だから」という理由で、後から書き換えられたそうだ。 では、太宰の『きりぎりす』は、どっちのキリギリスであろうか? 「アリに迎え入れられたキリギリス」なのか? それとも「アリに見捨てられたキリギリス」なのか? そんなことを考えながら、ふと書類棚に目を向けると、そこには、仕事関係の書類が置かれてあることに気付いた。さっきまでは、確かに無かったはずなのに……。 念の為、手に取って書類を確かめる。間違いない。例の書類だ。どうやら、妖精が返してくれたらしい。 早速、仕事に取りかかろうとも思ったが、なんだかヤル気が起きない。机の上にその書類を放り投げると、私はベッドに横たわった。 まったく、ヤル気がある時に限って、モノが隠されるのだ。そして、ヤル気が無くなる頃に返してくれるのである。いつも、この繰り返しだ。 それから私は、しばしの惰眠を貪ることにした。 「いまは、まだ夏だ。冬にはアリが、きっと温かく迎え入れてくれるに違いない」 そんなキリギリスの夢を、追うかのように……。外では、きりぎりすの、か細い鳴き声が、聞こえた気がした。 追記:太宰の『きりぎりす』は、まだ返ってきていない。どうやら、しばらくは返す気が無いらしい。
by oobayouzou
| 2011-09-07 21:21
| 3.エッセイ・小説・その他
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