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太宰治『誰』を再読。
徹底的な悪意を持つ者でなくとも、誰もがサタンと成り得る。 たとえ自分自身ではそんなつもりはなくとも、相手を傷付けてしまうことがある。そしてそのことで、自分自身が深く傷付いてしまうことがあるのだ。 私は『人間失格』の次の一節を思い起こした。 たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾(しっぽ)でピシッと腹の虻(あぶ)を打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄(せんりつ)を覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。~『人間失格』より 案外、相手の中にサタンを見出した者こそが、その本性を現わすものなのかも知れない。
by oobayouzou
| 2011-05-16 20:00
| 1.最近出会った太宰さん
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