カテゴリ
1.最近出会った太宰さん ・逆行 ・新釈諸国噺 ・お伽草紙 ・黄村先生シリーズ 2.太宰文学考 ・『待つ』について 3.エッセイ・小説・その他 ・太宰です……。 4.駆け込み、謳え 5.太宰治で読書感想文を書こう! ・太宰治で読書感想文を!2012夏 6.この夏読みたい太宰治 ・この夏読みたい太宰治2012 ・『道化の華』事件の考察 7.撰ばれてあることの太宰と私 8.マイノスタルジア タグ
記事ランキング
検索
以前の記事
2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 blogranking
外部リンク
blogparts
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
昭和五年十一月三十日の東奥日報に、次のような記事が掲載されている。
腰越津村不動神社裏手海岸において若い男女が心中を計り(中略)女は間もなく絶命男は重態である。鎌倉署にてしらべの結果(中略)帝大文科第一学年津島修治(二十二)女は銀座ハリウッドのバーの女給田辺あつみ(十九)で、カルモチン情死を計ったものである。~昭和五年十一月三十日付け 東奥日報 原因は、家族からの離反が 私の投身の最も直接的な一因であった。~『東京八景』 と太宰自身は語っている。 しかし、この言葉を100%信用することは、太宰の作品を読むにあたり、非常に危険な意味を持っているのだ。 では次に、このことも含めて、実際に起きた事件と作品との間に生じる疑問について、解明していきたいと思う。 一番の疑問は、実際の事件では“カルモチン中毒心中”であるのにも関わらず、諸作品において全て〈投身〉もしくは〈入水〉心中となっていることである。 中でも『東京八景』は太宰が二十二歳から三十二歳までの10年間における東京での生活を作品化したものであり、これは自叙伝と言っても差し支えのない作品である。 しかし、この作品においても 私はこの女を誘って一緒に鎌倉の海へ入った。~『東京八景』 と“中毒心中”から“投身”もしくは“入水”心中へのすり替えが行われているのである。 さらに、この事件自体にも疑問が生じる。長篠康一郎氏が次のように指摘している。 睡眠薬はカルモチンで通常の状態における推定致死量の1/5以下を服用していた。(中略)恵風園に収容された修治の命に別条なかったことは、手当を担当された中村博士の証言で明らかだが、女性の方は嘔吐による吐瀉物が咽喉につまって窒息状態に陥り、不幸にして命を失った。~『太宰治、実生活の謎』長篠康一郎 つまり、この事件は初めから死ぬ意志のない偽装心中であり、女性の死は偶然による“過失”であったのではないかという疑問が、ここに生じるのである。 このことを匂わす箇所が「魚服記」と本作品の中に、次のようにある。 ことしの夏の終わりごろ、此の滝で死んだ人がある。故意に飛び込んだのではなくて、まったくの過失からである。 ~「魚服記」 ひととおりの尋問をすませてから、鬚は、ベットへのしかかるようにして言った。「女は死んだよ。君には死ぬ気があったのかね。」葉蔵は黙っていた。 ~「道化の華」 もし、この心中が“偽装”であったならば、一人の女性を死に追いやったという罪悪感は想像を絶するものであり、また、その事実は他人には決して知られたくないものであったに違いない。だからこそ“中毒死”から“投身”もしくは“入水”へのすり替えという、事実の虚構化を行うことにより、真実を隠蔽しようとしたのではないだろうか? このような事実の虚構化は、この事件に限らず、太宰の全作品、特に自伝的なものにおいて、多数行われていることで、ここから太宰の作品は随筆を除いては、そのすべてが小説なのだということが言えるのである。(随筆の中にも虚構はみられるが、ここではそれを考えないとする。) したがって“自殺の最も直接的な一因”が家からの離反であるということも『東京八景』という小説の中で言われていることであるから、100%信用するわけには、いかないのである。しかも“自殺”自体が“偽装”であった可能性があるのだから尚更である。
by oobayouzou
| 2011-05-06 20:02
| ・『道化の華』事件の考察
|
ファン申請 |
||