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太宰さんの処女作品集『晩年』の中に『「魚服記」という作品がある。私は読後に不思議な余韻が残ったことを憶えている。民話から題材を取ったとは思うのだが、なぜ彼女は鮒になってしまったのであろうか?
太宰さんは若い頃、自殺を一つの再生術と考えていたとのことである。だから、自殺未遂を繰り返し、作家として何度も再生したとも考えられなくはない。そういった考えが、この作品の主人公へも影響したとも考えられる。 また、さらにその考えは、未完に終わった作品『火の鳥』へも、違った形として受け継がれたようにも思われる。 このようにして作家“太宰治”は、まるで不死鳥のように何度も再生を繰り返し、その狙い通り、いまでもなお我々の心の中に生き続けている。もちろん“神”としてなどではない。あくまでも“作家”としてである。 いや、待てよ。“狂言の神”としてなら、あるいは……。お後がよろしいようで。
by oobayouzou
| 2011-04-28 20:03
| 2.太宰文学考
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