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太宰治『美少女』を再読。
この美少女のことを想う時、私はなぜか『魚服記』の“スワ”が思い起こされてならない。 大人になることで、この世に絶望してしまう少女“スワ”。滝壺に身を投げ一匹の鮒に生まれ変わる。 しかし、こちらの“美少女”は水に浸かっても何者へも変化せず、美しい大人の裸体を誇示して陸へと上がるのだ。 この対比が、太宰さん自身の変化を表しているのではないかと私は思う。『魚服記』が書かれた頃は、作家を志しながらも奇行を繰り返していた“排除と反抗”の時代である。自分自身の作家への転身を何より願っていたことであろう。 一方『美少女』が書かれた頃は、安定した“市井の小説家”を目指した時期であり、奇をてらうことなく、己の才能を十二分に発揮しようと考えていたに違いない。 これらのことが、二人の少女の対比としても表れていると感じられるのである。つまり、太宰さん自身が、いわゆる“大人”になったということなのであろう。 但し、“スワ”が聡明な少女として描かれているのに対して、この“美少女”に関しては、そうは描かれていない。この点も見逃すわけにはいかない。これも太宰さん流の皮肉が込められていると思われるからである。
by oobayouzou
| 2011-04-27 20:03
| 1.最近出会った太宰さん
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