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太宰治『十二月八日』を再読。
もしも、この“日記”の日付通りに従うならば、私はこの日から70年後の“十二月八日”にこの“日記”を読んでいることになる。大変、何だか愉快な気持で読み進めることができた。だが、本編の内容は決して愉快なものではない。太平洋戦争の開戦という運命の日を、主婦の視点から描いた作品である。 ラジオからは次々と重大なニュースが流れてくる。ところが、主人はそそくさと逃げるように外出していき、隣人は戦争のことなどよりも隣組長になったことを気にしている。市場に買い物へと出かければ、街の様子は少しも変わることない。アメリカ兵への憎しみだけは募るが、それでも赤子の可愛さの方が気にかかる。何の変哲もない、いつもの日常がそこには広がっているといった印象である。しかし、その後の日本がどうなっていくかは、歴史が示している通りで、この日常の平穏は束の間のものであるのだ。 案外、時代が変わる時とはこんなものなのかもしれない。現代の日本も、少しずつではあるが、明らかに変化しつつあるように思える。いままで、気にも留めなかった“放射能物質”がやけに気になり始めたり、外国からの干渉がやけに目立ち始めたりと、足音を忍ばせるかのごとく、その変化は私たちの日常へと入り込んできているのかもしれない。 作中に出てくる“紀元二千七百年”とはいわゆる“神武天皇即位紀元”のことで、この文章を書いている2011年は紀元2671年に当たるとのこと。 あと、もう30年ほど生きて、この作品を読み直してみたい。そう、強く思った。
by oobayouzou
| 2011-12-08 20:20
| 1.最近出会った太宰さん
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