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太宰治『未帰還の友に』を再読。
小説とは“虚構”の世界。いわば“嘘”の世界である。しかしながら、古いSF小説を紐解いてみれば、“虚構”であったものが、今日においては現実のものとなっているものも少なくない。いわゆる“嘘”が“真”になったわけである。 科学の発展という一面から言えば、それらは“現代”を生きる私たちにとって、非常に喜ばしいことである。だが、中にはそうだとばかりは言えないものも存在する。 それが小説の中だけの話ならば、大変面白く読めるに違いない。しかし、それが“現実”となれば話は別なのである。 太宰さんの作品は、たとえ“現実”を描きながらも、そこに“虚構”を取り入れることで小説化することが一つの特徴である。逆に、他の人物が書いたものを元にしていたとしても、そこには必ず、自分自身を投影しつつ作品化している。 作中、“嘘”が“真”になることで、登場人物たちは傷ついていく。もちろん、これは小説。“虚構”の世界である。しかしながら、当時においては“現実”でもあったことであろう。 ここから、太宰さんを取り巻く、負の“現実”を“虚構”の世界に葬り去りたいという気持ちの表れ。すなわち、負の“現実”に対する“排除と反抗”が感じられはしないだろうか。 特に本作においては、たとえこれが創作であれ、事実を元にしているのであれ、いずれにせよ小説の世界の中だけにしていたい話である。 つまり“嘘”が“真”になる話を描きながらも、小説という“嘘”の世界のできごととして描くことにより、“真”を“嘘”に帰したかった。そんな風に思えてならないのである。 事実の虚構化。太宰文学が抱えるこの論議において、この作品についても見直すべきであろう。
by oobayouzou
| 2011-07-19 20:04
| 1.最近出会った太宰さん
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