カテゴリ
1.最近出会った太宰さん ・逆行 ・新釈諸国噺 ・お伽草紙 ・黄村先生シリーズ 2.太宰文学考 ・『待つ』について 3.エッセイ・小説・その他 ・太宰です……。 4.駆け込み、謳え 5.太宰治で読書感想文を書こう! ・太宰治で読書感想文を!2012夏 6.この夏読みたい太宰治 ・この夏読みたい太宰治2012 ・『道化の華』事件の考察 7.撰ばれてあることの太宰と私 8.マイノスタルジア タグ
記事ランキング
検索
以前の記事
2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 blogranking
外部リンク
blogparts
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
現在、私はTwitter上において、#dazaidesuというタグを用いている。一時期流行ったヒロシよろしく太宰さんの自虐ネタをツイートしているのだ。今回も、その中からネタ元を紹介していきたい。
太宰です……。中原中也に言われたとです。「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって」……意味が分かりません。 #dazaidesu これは太宰さん、檀一雄氏、中原中也氏、草野心平氏の四人で飲んでいたときの出来事。酔いが回った中原氏が太宰さんに言ったセリフがネタ元となっている。大方、太宰さんの蒼白い顔を揶揄して言ったのであろう。悪口さえも詩的であるから困りものである。 「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」 ところで、太宰さん自身はこのように人に絡むような酒のみではなかったらしい。 太宰の酒は一言で言うと、よい酒で、酒癖のわるい人、酒で乱れることをきらった。~津島美知子『回想の太宰治』より ということで、今回はこの辺にて。 太宰です……太宰です……太宰です……。 #
by oobayouzou
| 2012-11-10 21:21
| ・太宰です……。
現在、私はTwitter上において、#dazaidesuというタグを用いている。一時期流行ったヒロシよろしく太宰さんの自虐ネタをツイートしているのだ。今回も、その中からネタ元を紹介していきたい。
太宰です……。とある席上で、三島君に言われたとです。「僕は太宰さんの文学が嫌いなんです」……だったら、わざわざ来なけりゃいいのに。 #dazaidesu これは亀井勝一郎氏を囲む会に出席したときのこと。三島由紀夫氏は太宰さんを目の前にして、ツイートの通り「僕は太宰さんの文学が嫌いなんです」と言ったらしい。 このことについて三島氏は自著『私の遍歴時代』において次のように答えたと書いている。 「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」~『私の遍歴時代』 だが、実際にはツイートにあるように「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨てるように言って顔をそむけたという。 ここに私は三島氏の太宰さんへ対する甘えを感じている。太宰さん自身、次のように書いている 尊敬しているからこそ甘えて失礼もするのだ。~『女の決闘』より 事実、太宰さんは特に井伏さんに対して失礼を繰り返している。そういったことを鑑みれば、この言葉は単なるポーズとは思えない。太宰さんの本心なのではないだろうか。 もし、そうであるならば三島氏もそれに則っただけとも考えられる。冷や汗まじりの道化を演じてみたのではないだろうか。だからこそ自著において、あえて歪曲したのかもしれない。 結果、三島氏は太宰さんから、思わぬ仕打ちを受けることとなる。これが私の推測に過ぎぬものではないならば、そのときの三島氏の落胆ぶりは、想像に絶えぬもの。その後の太宰批判も頷ける気がする。 それでは今回は、この辺にて。 太宰です……太宰です……太宰です……。 #
by oobayouzou
| 2012-09-17 22:22
| ・太宰です……。
眼が悪いということは、甚だ難儀なことである。眼鏡などという面倒くさいものを掛ける破目に陥ってしまうからだ。
暑い夏などには汗でずり落ちるものだから、何度も何度も直さなければならない。寒い冬なども、外から建物の中に入った際には曇ってしまうものだから、いちいち拭かねばならない。そして何よりも、自分の顔に自信が持てない。 もちろんコンタクトレンズという手もある。しかし、様々な弊害もある。特に私は年がら年中、花粉症に悩まされているものだから、また一つ悩みが増えるかと思うとそれも煩わしくに思えてしまう。故に仕方なく眼鏡を掛けているのである。 ただ、眼が悪くなって良かったと思ったことが実は一つだけある。それは次の一節への共感である。 眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。~『女生徒』より 私が本作と初めて出会った時、私はまだ眼鏡を掛けていなかった。だから、この個所について共感することはなかった。ただ、そんなものなんだろうなと思っただけであった。 しかし、後に眼を悪くし、この文章がどれくらい的を得ているかを体感するに至るや、深く感銘を受けたものである。眼を悪くして、唯一といっていいほどの幸運だと、いまだに感じている。 もちろん、他の煩わしさに比べれば、ほんの些細なことではある。実際、本作の少女もまた、この後に続く文章にて、うら若き乙女の苦悩を滲ませている。 特に当時の眼鏡は丸い縁のいわゆる“ロイド眼鏡”であっただろう。漫画などでは、眼鏡を外すと実は美人というような表現があるが、恐らく当時は本当にそういった人が多数いたのではないかと思われる。さすがにあの眼鏡をお洒落に掛けこなすのは至難の業であったに違いない。 美しく見えたものが眼鏡というフィルターを通すことにより、自分からもそして他人からもさえ、そうは見えなくさせてしまう。“眼鏡は、お化け”本文中にあるこの表現は皮肉にも言い得て妙だと感じさせられてしまう。 また、言い得て妙な表現は他にもある。“朝は、意地悪”だ。 本作はとにかく書き出しが素晴らしい。『枕草紙』をも匂わせ“眼をさます時の気持ちは、面白い”としながらも、次第に憂鬱な側面を浮き彫りにしていく。一日の始まりたる朝。意外にもネガティブに陥りやすく、自殺者が最も多く出るのは月曜の朝だという話が思い起こされる。 本作『女生徒』は主人公の少女の一日を描いたものであるが、先に述べた眼鏡の部分にせよ、この朝の部分にせよ、ころころと変わる少女の心情が見事なまでに描写されているかに思える。それはメリットとデメリットといったような、物事の二面性を捉えたものなのではないだろうか。 例えば、私自身が眼を悪くしたことにも、それは言えるであろう。どうせなら、良い側面をみていたいもの。希望や幸福に目を向けていたい。 この小説を初めて読んだのは、高校生の頃。主人公の少女に近い年齢であった。ころころと変わる心情に、いちいち共感を覚えながら読んだ気がする。 年を経て再読するに当たり、少女の年を遥かに超えたというのに、いまだ共感を覚える個所があることに気付かされる。一日を通して、変化し続ける少女の心。その心情に同調するかのように、自分の心情すらも変化していくのを感じずにはいられなかった。 多分それは、揺れながらも彼女の心が、希望や幸福を信じているからではないだろうか。それとも、私自身がそうだからであろうか。あの頃よりも。 #
by oobayouzou
| 2012-08-31 22:22
| 1.最近出会った太宰さん
|
ファン申請 |
||